はじめに
「まほろば紀行」は2007年暮頃から、自分のHPを立ち上げて、暇にまかせて自分の歴史観を思いつくまま書いたものです。
今では144編も綴り長く続いたと思っています。この間考古学書を読み、奈良県下での発掘調査現地説明会に参加し、知識不足はインターネットのホームページを随分と参考にさせていただいた。写真も現地に行けるものはカメラ持参で行き、現地に行けない遠隔地の遺跡や発掘品はHPを利用させていただいた。
今回、「まほろば紀行」を旧HPから「best-book.jp」に移行するにあたり、従来作成順に並べていたものを、作品が多くなったので雑然と並べるのではなく、テーマごとに分類しました。
まず、まほろばの意味を紹介したい。まほろばとは日本語の古語で「美しいくに」とか「美しい場所」の意味です。
古事記中巻の景行天皇の条で倭健命(やまとたけるのみこと)が死にのぞみ
倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし
と詠みます。「まほろば」は日本の各地に存在しますが、通常は大和の国、特に奈良盆地をさします。
瑞穂(みずほ)とは、みずみずしい稲穂のことで、稲が多く取れることから瑞穂の実る国ということで、「瑞穂国」(みずほのくに)、「豊葦原千五百秋瑞穂国」(とよあしはらの ちいおあきのみずほのくに)が日本国の美称としても使われます。この国は三輪山の北西部で昔から稲がみずみずしくはえていました。もう一つ秋津島も日本の美称の代名詞に使われます。これは奈良盆地の南西、葛城山のふもと付近をさします。この地方は、現在も地名「秋津」があり葛城氏の米どころでした。奈良県を縦断する京奈和道の工事中に秋津遺跡や 西山遺跡 が発見され、奈良県最初の米の耕作地遺跡として、考古学ファンには知られるところです。
さて「まほろば紀行」を分類して北、中、南、西、東の大和としています。各々北和、中和、・・・・といいます。この意味も多少説明します。この対象地区は奈良盆地で盆地以外は言わないようです。そして文字どうり奈良盆地を五分割したおおよその方面をいいます。厳密な区画定義があるわけではないので、ぼんやりと東西南北方面をいうようです。ただし中和は桜井、橿原方面をいうようです。ここでお断りですが、このうち東和は実際にはありません。現在大和は奈良県の旧国名ですが、大和(倭)は古く、古代王権が発生し、局所的に三輪山の麓あたりをいいます。(大和について) その為この王権発生地点を中心にした方向感覚でこのようにいうようです。東和は単に「大和」でそこから見ての言い方なのです。いわゆる本家です。本家から見て東だ、西だというのであって本家がどこかからみて西だ、東だと言わない道理です。従って、東和はないのです。東和は「まほろば紀行」の分類のため仮に定めたものなのです。
そういう意味で私の分類もいい加減で北和は奈良、郡山地方、南和は明日香、吉野地方、中和は橿原、高田地方、西和は葛城、五条地方、東和は桜井、オオヤマト地方、で大まかに分類しました。